抄訳
福島第一原子力発電所事故は、発電所の爆発、原子炉のメルトダウン、放射性物質の放出などで、1986年のチェルノブイリ事故以来最悪の原子力災害となり、医療者もしばらく警戒区域内に入れなかった。谷川武医師は第一原発および隣接する第二原発の非常勤産業医を長年務めていたが、警戒区域に立ち入りを許可されたのは4月半ばだった。職員たちの壮絶な体験を知り、谷川氏はメディアを通じてメンタルヘルス支援を訴え、筆者と協働することとなった。
この写真は2011年5月6日午後8時16分、筆者が精神科医師として事故後はじめて現地入りした際に、第一原発職員が寝泊りする第二原発体育館で撮影したものである。再体験、回避、過覚醒、解離、被曝への恐怖など多彩なストレス反応が見られ、同僚・身内の死亡への悲嘆と罪責感も顕著だった。職員のアパートに「ここから出て行け」と張り紙がされるなど激しい差別体験により、職員一人ひとりが事故の責任をすべて負っているかのような加害者意識に苛まれていた。何千人もの職員の個別対応は不可能な状態のなか、重症度のトリアージを行わざるをえなかった。ストレス対処などのカウンセリングより真っ先に行ったのは、彼らに最大限の敬意を表すことだった。
この支援は後に政府の支援を経て、現在も続けているが、現地では常勤精神科医師が不在な状態である。廃炉までには数十年かかると予想され、悲嘆反応を持つ者、高線量被曝者、死の危険性にさらされた者など、リスクの高い者を中心に、継続的なケアが求められる。しかし、このような英雄たちへのケアを継続するためには、高い使命感を持つ専門家、資金、組織的システムが喫緊の課題となっている。